人々には、それぞれ、「尊敬する人」というのがいるものだと思う。
私の場合は、身の回りで、
あ、この人、カッコイイな、えらいな、凄いな、など、
そんな些細な理由で、人を尊敬するようになることが多い。
そして、その人の能力に、自分を近づけようとする。
だから、尊敬する人は何人もいる。
その人には到底及ばないことは分かっていても、
がんばることで、結果的に自らを成長させられる。
「尊敬する気持ち」を持つことのメリットは、それだと思う。
小学6年か、中学1年くらいの頃の話。
その人(A)は、当時私が尊敬している人のひとりだった。
私と同じ年だったが、誰に対しても公平な態度で接することができ、
何をやっても失敗なく、完璧にこなすことができる。友達も多い。
何もかもが、私にとって、カッコよく見えた。
普段はいつも笑っているA。
そんなAがある時、まじめ顔で、私に折り入って相談がある、と言ってきた。
相談に乗るのは苦手だったが、掃除の時間に話すことにした。
そこでAが言ったこと。
自分は他人に対して、どうしても冷たい態度をとりがち。
何をやってもうまくできない。
どこへ行っても浮いてしまう。
一体、どうすればいいんだろう?
そうやって悩む日々が続いているんだ。
その言葉を聞き、私は思わず、「何言ってんの?」と返し、
次の瞬間、何だか自分が悔しくなった。
彼の言ったことは、全く当てはまらない。どういうことだ?
表面だけは何とか平静を取り繕い、「そんなことないよ。」と言えたが、
しばらく、ショックのあまり、呆然としてしまった。
私が心から尊敬しているAが、自分は劣っている人間だ、と思っている。
じゃあ、オレは一体何なのだろう?
パーフェクトだと思っていた人が悩んでいるということは、
オレは“本来”、どれだけの悩みを抱えているべきなのだろう?
それなのに、何にも考えず、悩まずに暮らしてきたオレって何よ?
それ以降、ずっと私は自分の行動に今ひとつ自信が持てずにいる。
今、自分が抱えているべき悩みはあるのだろうか?
気づいていないところで、何かまずいことを仕出かしてはいないだろうか?
今でも、そんなことを考えて、具合が悪くなるほどだ。
私は、自分の生涯とか、生き方とか、そういうことについて考えたことはない。
だが、生きている間、常に「尊敬する気持ち」だけは持ちたいと思っている。
その人からたくさん影響を受け、自分を見つめなおし、
ひいては自分を成長させることにつながる。そう信じているからだ。
だから、今もたくさんの人を尊敬している。
試験前、必死に勉強したり、
他人に提出する書類に書く字を少しでもきれいに書こうと思ったり、
誰に対しても公平に接するようにしよう、と決めることができたのも、
「尊敬する人」からの影響に他ならない。
Aとは、もうずっと会っていない。
今頃、どこで何をしているのか、ふと思ったりすることもある。
きっと、ますます良い人になっているだろう。
「尊敬する気持ち」が、こんなにも自分に影響を与えていたとは。
それに気がついたのは、つい最近のことだった。
Aは、勉強もできたし、そういうことに気づくのも早かったんだろうな。
私は、スタートが遅れたけど、
「尊敬する気持ち」を持ち続けることで、同様に自分を成長させていきたい。
尊敬する人と肩を並べることはおろか、能力的に近づくことすらできないかもしれない。
でも、それでもいいのだ。
そうすれば、常に「努力」する精神を忘れずにいられるから。
2006.9.28 Nukezo 「尊敬する気持ち」