卒業の時期になると、いつもこんなことを思う。
「もうみんなともお別れかぁ…、寂しいよなぁ…。」
何せ3年間を共にした、200名近くの連中と別れなくてはならないのだ。確かにそれは悲しいし、別れたら寂しいとも思う。
でも、ふと落ち着いて我に返ってみると、
こんなことを思ったりもする。
「あぁ、早く進学したいなぁ。楽しみだなぁ…。」
我ながら矛盾しているこの2つの思い。
どっちの気持ちの方が強いだろう?
おそらく私は、後者を選ぶと思う。
例えば、もし私が、「アナタが一番大切にしているものは?」と聞かれたら、
私は迷わず「友達」と答えると思う。
3年間、人によっては9年間、支えあって、遊び、何よりも私を成長させてくれたのだ。
いつまでも大切にしたいと思っている。
そのためか、あえて、自分の友達と同じ学校に進学する人も、私の回りにはたくさんいた。
でも、私は今回、私の学校からの志願者が1人もいない学校を、自ら志願した。
もちろん、これまでお世話になった友達とのやり取りは続けたいし、絆をより一層固くしたいと思っている。
でも、「たくさんの人と交流する」という観点ではどうだろうか?
例えば、新たな生活がはじまる新たな場所で、私を知っている人がたくさんいたら、新しく会う人たちにも、
「抜け蔵はこういう人だ」
というのを、ある程度知られた上で付き合いを始めるのはやむをえないだろう。
私のことを誰も知らない、全く新しい場所で生活を始める。
もしかすると、そこで自分の新しい「夢」や「才能」、「可能性」を見つけ出すことが出来るかもしれない。
私にとって、幸せなことが歩いてくるかもしれない。
これは、知り合いが周りにいる場所ではできないと思う。
私は実際、こんな経験がある。
中学校2年の夏頃までは、とっても引っ込み思案だった私。
そんな私が、2年生になってから、急に生徒会の役員に立候補することになった。
先生から勧められたのも理由だが、自分でも何か新しいことを始めたいと思ったのだ。
だが、周りの人は、それまでの引っ込み思案な私を知っている。
そんなわけだから、
「ゲェ、お前がやるの?」
などと、真顔で言われてしまった。
正直、その時は悲しかった。
つまり私は、「引っ込み思案で何もできない」と思われていたからである。
何か新しい場所で新しいことを始めるのは、一種「早い者勝ち」のような気がする。
早くからいろいろなことに手を出しておけば、みんなからの私に対する評価は、
「積極的でアクティブな人」
になるからである。
私は決して、みんなに良い顔をしたいと言うわけではない。
もちろん、みんなに好かれたい、信頼されたいというのは、人間として当然の欲求だろう。
でも、早くからいろいろなことに挑んでいけば、それで得られる経験や達成感、教訓も増える。
挑戦を通して、いろいろな人と交流することで、その人から学ぶことも多いと思う。
例えば、小学生の頃は文を書くのが大嫌いだった私。
小学2年の頃、「日記」という宿題が毎週1回あり、母に叱られ、泣きながら書いていた私が、
今は毎日、ボンヤリしながらでも書けるようになった。
小さい頃から他人との付き合いが苦手だった私が、最近はみんなにとって「面白い」とされて、親しみを持ってもらえた。
生徒会もやって、いろいろな人から「責任のある仕事」まで任されるようになった。
193名の前で、たった1人で、サザンの「BOHBO No.5」を熱唱することもできた。
責任を課せられた時はもちろん緊張もするが、それを果たせた時はとても嬉しい。
限られた人生の中、一つでも多くの、多分野な事柄を経験し、
そしてよりたくさんの知識を身につけたい。そう思う。
だから私は、「新しい出会い」の多い場所が好きだ。
もちろん、これまでつき合ってきた友達とは、いつまでも仲良しでいたいけど、
「進学」は、私に与えられた一つの「チャンス」だと思っている。
あえて知り合いの多い場所には行かない。
それだけ、たくさんの人と交流できて、その人たちから学ぶことも多いということだから。
これからも、どんな時にも笑顔を忘れず、フレンドリーな自分でいたい。
そして、これからは多くのことに挑戦し、知識を豊かにしてゆきたい。
それが、私の卒業を前にしての思いだ。
みなさん、ありがとう。これからもよろしくお願いします。
2006.03.09 Nukezo 「抜け蔵のつぶやき」より